上市自治会
上市自治会は現在49戸で構成されており、人口約160名弱の小さな自治会であります。
上市とは、今をさかのぼること約820年前、物部城主上原氏の頃に城下町として栄え、当時、開設された下の市に対し上の方に栄えた市場から起こった地名だといわれています。
城山を囲んだ町筋と言われる道が昔の丹後へ通じる本街道であったらしい。今も人家が密集する町筋には「古市場」「上町裏」の小字地名がその名残を残しています。
また、市場として栄えた上市は職人の町でもありました。鍛冶屋、傘屋、桶屋、屋根ふき屋、大工、鋳掛屋、畳屋、左官屋、油屋等々、今でも当時の屋号で呼び合う風習が少し残っています。一口に言ってのどかな原風景を抱える村であります。
秋祭り集合写真
村挙げての数少ない大切な行事は8月の天神祭りと10月の秋祭りです。
天神祭りは昔は子供たち自身が中心となり運営してきましたが、今では自治会と子供会が共催しています。
秋祭りは村挙げての一大イベントであります。
宵宮には八幡神社にて宮司様により祝詞奏上が行われ、収穫に対する感謝と村の安全が祈願されます。本祭当日には子供たちによる子供太鼓や若者たちが担ぐ樽神輿が各組を巡行する伝統行事が35年間以上営々と受け継がれています。しかし少子化により子供太鼓の人数が減少する中で、昔取った杵柄を大人たちも披露したい子巡業は維持されています。
この土地を離れふるさと上市を思うとき、山野に響く太鼓の音は決して忘れることはなく、永遠に心に残っているものと確信します。お祭りが近づくと自然にふるさと上市の太鼓と音が思い出され、帰郷の心が動くことを期待しています。
上市には自得寺に属する無常の光明寺という尼寺があります。境内は竹がうっそうと生い茂り南側には桜と柿木の古木がそびえています。昔はお年寄りが集う憩いの場所でありましたが、ここには鎌倉時代の作と推定される約1mの阿弥陀如来像が安置されています。
資料によると「この如来像の形は著名な仏師運慶と並び称された快慶が多く作成したもので、優美な作風とその理知的な面貌表現に見るべきものがあり、この種作例中の優品として注目される」と記載されています。
近々、自得寺に安置される予定でありますが、大切な仏様であります。
上市五叉路改修工事
府道綾部大江宮津線、物部梅迫停車場線、物部西舞鶴線の交わる上市の五叉路は交通の危険性がさも高い個所でありました。住民の生命と安全を守り将来の発展を願う五叉路の改修は、地区住民のみならず物部や西部地区にとって本当に長年の願いでありました。それが昨年やっと実現し、五叉路から四叉路となり、今は物部大橋の架け替え大工事が急ピッチで行われています。この改修により長年慣れ親しんできた金谷橋が廃止となり、安堵の気持ちと寂しさが交差する上市住民であります。
今をさかのぼること205年前、江戸時代文化5年元物部住民(現在の上市・下市・須波岐・岸田の地域)により火災のない村を願い、秋葉神社が山頂に建設されたことがお堂の棟札により明らかになっています。
しかし、いくたびかの改修は実施されましたが、長年の風雪によりお堂は荒れ、山頂にあることと高齢化によりお参りする住民は激減していました。
平成23年に自得寺閑静和尚の提案により、旧高屋寺観音堂跡地に新しい秋葉神社の建設の機運が高まり元物部四自治会をはじめ多くの地区内住民や事業所の方々により約二年間かけ平成25年7月に新しい秋葉神社が誕生しました。
毎年7月23日の祭礼は従来通りに上市自治会が取り行っています。
- 塩見 圭一氏のこと
郷土の人物として明治38年に病没された塩見 為蔵翁がおられます。
近年、同じように語り伝えていかねばならない人物に塩見 圭一さんがおられます。
若きリーダーとして将来を嘱望されていた彼が、母子救助のため自らの命を捧げた偉業は墓標に刻まれた感謝状が物語っています。秋祭りには彼を慕っていた若者たちにより樽神輿と和太鼓が墓前に奉納される姿は胸打つものがあります。
感謝状
あなたは平成十四年九月二十三日、和歌山県有田川における母子の水難事故に際し、我が身の危険もかえり見ず、その救助に当たられ尊い生涯を捧げられました。
ここに心から哀悼の意と感謝を捧げますと共に、ご冥福をお祈り申し上げます。
和歌山県有田市市長 松 本 泰 造
和歌山県有田警察署長 長 森 豊 和
大阪府摂津市市長 森 川 薫
綾部市消防物部分団 森 永 豊 明
エスペック株式会社社長 野 路 井 達