昔々(江戸中期頃)丹波の国志賀の郷に、『夜嵐』と呼ばれるめっぽう力の強い大男が住んでおりました。この大男、一夜のうちに八反も田を起こしたとか、普通の人が三人かかっても引けないような豪弓でも、軽々と扱うほど力持ちでした。
大男、大変な力持ちでしたが性格は温厚で、自分の力自慢をするぐらいで、郷人達にも可愛がられ、力仕事をもらっては生活をしのいでおりました。
志賀の郷のすぐ隣に白道路という村がありました。白道路に、この夜嵐と大変仲の良い友達がおりました。名を「儀左エ門」といい、大変頭の良い人だったと言われております。
この儀左エ門の家は村一番の旧家で、大勢の家族にかこまれ、戸主は代々村人たちの世話をしておりました。村も違い、家も少し離れておりましたが、うまが合うというのか二人は大変仲が良く、夜嵐の大男も儀左エ門さんを大変尊敬しておりました。
ある日のこと、また大男の力自慢が始まりました。
儀左 「おまえ、またホラを吹いてる。本当に引けるのか」
大男 「儀左、お前さんまで俺の言うことを信用できんのか」
儀左 「信用できんよ。おまえは口ばかりで実際弓を引くとこ見たことない
から」
大男 「よし、そんなら見せてやる。明日の今の時間に、若宮はんから、
ここから見えるあの山まで射てやるから見ておれ」
(若宮神社から白道路村吹ヶ多和、上原勝也氏の裏村山)
(注 距離約五百米)
儀左 「そんなこと出来るかい。もし出来るんじゃったら、俺が尻をまくって的になってやる」
大男 「ほんな、尻をまくっておれ。俺が必ず射てやるから」
二人は問答のすえわかれました。翌日フキガト山に登った儀左エ門さん。
儀左 「待てよ。やつは恐ろしい力持ちだ。本間に矢が飛んできて俺の尻に当たったらおだぶつだな」
心配になった儀左エ門さん、いろいろ考えておりましたが思案の末、山行き籠に羽織をかけると、まるで人がしゃがんで尻をまくっているように見えました。そうして自分は少し離れた木陰に隠れていると、約束の時間とおぼしき頃、ビューンと鋭くあたりの大気を割いて、矢は目にも止まらぬ速さで飛んでくると、ブスッと籠は見事に射抜かれておりました。
儀左エ門さん、腰も抜かさんばかりにびっくり仰天。
儀左 「ほんまに飛んできた。怖いこっちゃあ」
と思わずふるえたとのこと。そして矢を隠した。後で
大男 「ほんまに当たったじゃろう、儀左」
儀左 「当たっとれへん。これこの通り何ともないわい」
と尻を見せた。
大男 「確かに当たった筈じゃがなぁ」
と不審顔で帰っていったという。